【 若松勉 伝説pick up 1978 ヤクルトスワローズ VS 阪急ブレーブス 「ファウルだ!!」 】
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- Опубликовано: 13 дек 2024
- 2006年のプロ野球ニュースより
中日 対 日本ハムの日本シリーズの試合解説終了後に
余った尺で、解説陣にそれぞれ思い出に残った日本シリーズのワンシーンを
ピックアップしてもらった企画(若松勉 氏編)
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これ、一つの時代が終わった
瞬間でもあるんだよな。
投打ともに戦力充実の
勇者(阪急)が、昭和50年、
51年、52年と3連覇し、
そしてこの53年、4連覇が
かかったシリーズの相手が
ヤクルトで、下馬評は当然
阪急。
この疑惑の判定も痛かったが、
そもそもは当時の阪急の戦力
からして、ヤクルト相手に
3勝3敗で最終戦までもつれ
込ませたのが一番の誤算かな。
何でそんな展開になったのかを
あらためて思い返すと、やはり
このシリーズに不意の故障で
豪腕 山口高志が出られなかった
事が全てだろうね。
事実、前年までの3連覇の時、
セ・リーグでは目にすることも
ない快速球で牛耳ってたから
なぁ…
あの試合、後楽園で観戦してました。中学校2年生の時でした。今だったら、リプレー検証でした。
初優勝日本一になりながら翌年は開幕8連敗で結果最下位に終わる有様
ジャンボスタンドの観客も
なんだファールか…みたいな雰囲気だね
しかし、大杉は素晴らしいスイングですね。姿勢、テークバックの深さ、ハンドファースト、右肩が下がらないレベルスイング、速いヘッドスピード。現代の野球でも十分打てるだけの技術があります。
豊田泰光さん 二塁の谷村審判 ライトの前川パ・リーグ審判部長も亡くなりましたね。
もちろん、ファールだったらその後の世界線は変わっちゃうから、その後の展開がどうなったか分からないけど、大杉さんがカッコよかったのは次の打席で文句のつけようのない左中間HRを打ったところですね。それと、松岡も完封。
その結果、あの大飛球と上田さんの猛抗議が、後味悪くないカラッとしたエピソードとして語り継がれてるんだと思います。
上田監督のあそこまでの執念を見ると多分巨人超えの10連覇でも本気で狙ってだのではなかろうか? それが戦前予想で圧倒的有利と言われた相手に4連覇を阻止させられる・・とあってあの常軌を逸した行動に出てしまったと。
上田監督のコミッショナーとの言い合いがそのまんま音声が拾われて放送されたのが凄い。
今は抗議中はグラウンド内の音声も拾わないのに。
4番はホームランを打ち直し、エースは完封。役者が違うね
往年の阪急ファンです。判定がどちらかでは無く、この年はヤクルトの勝ちだよね。
大杉さんはこの後山田からもホームラン打ってるし、ヤクルトの松岡も絶好調で、打てる気がしなかった。
デーブは大御所3人の前では大人しい😢
アレのつづきは抗議実らないときもありました
上田監督、大杉さん、天国で一緒に今のシーンを笑いながら見てるのでしょうか。大杉さんの打球の速さも上田監督の執念も共に天晴れですね。
現場に居合わせていました。一塁側コーチスボックス辺りの十数列目。打球の行方は見えませんでした。
中断中、バックネット裏少し三塁寄りで小競り合いはありましたが、一塁側ファンは意外と冷静で、そのうち「ファールらしい」という言葉が伝わってくると「この先どうするんだ」「上田さん悔しいだろうな」と周りが判官贔屓的な空気になったのを覚えています。
再開直後にリリーフした左腕松本投手からマニエルが文句無しのホームランを左中間に叩き込むと空気が一変し、ヤクルト初優勝の熱狂的雰囲気になりました。
あの夕陽と共に史上最強チーム阪急ブレーブスは落日を迎え、広岡監督は日本一となり後に西武の黄金時代を迎えます。大杉勝男さんの一打と富澤線審のジャッジは、後世のプロ野球の歴史を変えました。
この時の試合がシリーズのテレビ最高視聴率という。
中断期間の間、解説者や実況アナも繋ぐの大変だったでしょうね。
日本シリーズ史上、最大の事件。
この因縁に決着が付くのには44年もかかった。
他の動画にもコメントしていますが10月の後楽園は3塁側からレフトのエリアは晴れている日だと西日が強く、レフト線審の富沢さんは塁審用のツバの長い帽子を着用していたため打球を見失ったのではというのが私の見解です。フジテレビで当時中継していたVTRを何回も繰り返し見たら僅かに打球はポールの左側を通過しており明らかな「ファウル」ですね。騒動の元となった富沢さんはアメリカのアル・ソマーズ審判学校を卒業しセ・リーグ審判部長の要職を歴任し、王さんの756号世界記録本塁打を達成した主審などを務めた方ですが、島田紳助氏に「野球の審判じゃなくて銀行の頭取かと思いましたわ」と揶揄された風貌から真面目過ぎたのかもしれませんね。しかし後楽園球場のレフト線審といえば1959年6月の巨人vs阪神における天覧試合で長島さんが(当時は山へんにアイランドではありません)のレフトへ際どいサヨナラホームランを打ち、この時のレフト線審が富沢さんと言うのも何か因縁を感じます。このサヨナラホームランは打たれた村山投手が死ぬまで「あれはファウルだ!陛下の前だから抗議しなかった」と語ってましたが、後に画像を分析した結果は明らかなホームランであることが証明されて何とも富沢さんの1978年日本シリーズにおける「ミスジャッジ」は悔やまれます。リクエスト制度が無い昭和のプロ野球ならではの場面ですね。
どう見てもファールよな。
でも審判がホームランって言ってるのだからホームランだよな
上田監督て、意外と厳しいだね。
完全にファールです。のちに大杉自身も認めてました😢
認めてないだろう
認めたっけ?
真実はどうであれ、阪急はもう運を逃していたんだよ。
夕方のニュースで、レフトスタンドのヤクルトファンがポールの外側を通ったこれはファールですよと言ってました(佐々木さんも確認していたのですね)。コミッショナーが上田監督に私がこれだけ頼んでも再開してくれないのかと言ってるのを聴いて、ファールや本塁打とかはどうでも良いんだ、試合の再開の優先が先決、興業としての圧力みたいなものを感じました。
このコミッショナーは直後の江川問題でもやらかしてこの年の暮れに辞任したんですよね。
当時のルールでは判定は覆らないのですから、コミッショナーが判定を覆してルール違反するわけにはいかないでしょう?
そして上田監督に試合を中断させる権限など無いのです。審判を突き飛ばした時点で退場が妥当だったと思う。
当時の解説だった豊田さんが言ったとおり、
「コミッショナーを出しちゃいけないです」
そういう事態にしてしまった審判に問題がある。
たとえ誤審に気づいていたとしても毅然とした対処をしなければならなかったんですよ。
フアンの事を考えてだよ、延々と待たされ続けたフアンが待ちくたびれていた
炭火😂
上田のしつこさはは酷かった執念深さを感じた
ヤクルトに負けて黄金時代が終わり、ヤクルトに勝って黄金時代が始まる予感。
しばらくヤクルトと日本シリーズは戦いたくないかな😂
ファールがホームランになった。今でも覚えている。当時の日本シリーズは、セリーグ中心のジャッジが多かったように思う‼️上田監督は間違っていない。令和の時代にこのワンプレー再現して頂き検証して欲しい‼️ファールや。
富澤がウソつかなければ
「夕日が目に入ってよく見えなかった」とは言えないでしょ。